2023/02/02 22:09

一日参りに行ってきました。

一日参りとは、毎月一日に神社にご挨拶に参拝する習慣のこと。

向かった先は大神神社(奈良県桜井市)、みわさんです。今日はたわいもないお話ですが、一日参りに行ったことを書きますね。ご祭神が大物主神(おおものぬしのおおかみ)ということで、出雲出身のあなん(セイコ)には親近感があります。

京終駅へ

最寄駅の京終駅にいくと、時刻表の前におじいちゃん(85歳くらい?)がスマホを持ってたっていました。
スマホの画面がこちらから見えるんですけど、セルフィになっていて、おじいちゃんの顔が見えるんですよ。
もしかして、時刻表を写したいのかな?

声をかけて、セルフィを解除してあげました。
「わし毎月、みわさんへ行くんやけど、これを撮っといたら便利かなあと思うてなあ」
そうですよね。京終駅は1時間に2本しか電車がありませんので、時刻表のチェックは欠かせません。わたしならアプリで調べますが、おじいちゃんはこのほうが安心かもしれません。

よかったですね、と言って電車へ。

三輪駅

三輪駅へ降りると、なんと初詣のときと同じように、参道直結の改札口が開いていました。やはりこの日は参拝者が多いのでしょう。こちら側からはすぐなんです。

通りには店が並んでいました。たこ焼き、干し芋、和菓子(おだんご?よく見なかった)、いろいろある中で注目したのは野菜。立派な野菜。(うちではとてもこうはいかない)
冷蔵庫がパンパンなのでひとまずは諦めましたが、ここに来れば、こんな野菜が買えるんだということは、脳内ブックマークです。

その先に鳥居があります。鳥居の前で一礼。
そしてその中へ一歩踏み込んだ時に、パッと空気が変わる感覚が大好きです。
神社といえばみわさんが好きなのは、駅からすぐにお参りできる場所にありながら、このこんもりとした森に包まれているから。管理されている皆様に感謝します。清浄な空気の中を、一歩一歩進んでいく。どんどん心が落ち着いていきます。

拝殿

ご存じのとおり、山そのものが御神体。縄文人と同じです。
山に神様がいらっしゃるのではなくて、神とは山なのです。
そして、すべてが神なのです。

わたしには、それで十分です。

山は、日本列島に最初の文明が生まれたときからずっと聖なる場所でした。
聖なる場所が今どんな状況にあるか、もう一度、山を尊ぶ心を多くの方と共有したくなります。
林業にたずさわる方は、山の神様に祈りを捧げられます。
誰もがそういう気持ちを持ちたいと思います。 まちがっても「征服」する対象ではありません。
 

出雲大社とは違うお参り方法を守って、最後に一礼。
さあ、帰ろう。 



一度帰りかけて、ふと足が止まりました。
めったいにやらないおみくじ、今日は引いてみようかしらと。
「引いてみよう」と思ったことが、すでにくじをひいているのだから。

今風のおみくじは、モニター画面の上で手をゆらゆらすると、番号が表示されるしくみになっていました。なんだか味気ない。これも感染症対策なのでしょうか。かまいませんよ。素直に、ひらひらとしたおみくじを受け取り、少し離れた場所で覗きこみました。

おみくじ2
まさかの大吉。

(なんでまさかなのか?年中悲観しているのか?)


感謝を忘れず
前に進め。

承知しました。

あんなことも、そんなこともあったのに、今日もこうして元気で生きており、大好きな人たちにもたくさん出会えたことは感謝でしかありません。そのお返しが「進む」ことなのだと思いました。
進まなくては。


帰りの駅で 


参道を元通りに戻っていくと、さきほどの改札口は降車専用。ひとまわりして三輪駅へ向かいます。幸が不幸か、スマホを持ってでるのを忘れました。おかげさまで待ち時間は読書に集中。スマホを持っていると、どうしてもチェックしたり、写真をとったりします。このごろ、少しスマホから離れようかなと思うようになりました。(でも、忘れるのはやっぱり不都合ですけどね)

京終駅につき、改札をでるころに、あのおじいちゃんを追い越しました。
後ろ姿と横顔をみて、まちがいないと思ったわたしは、笑顔で手をあげますと、おじいちゃんも「お!」という笑顔を返してくれました。

一日参りの朝のできごと。
2月になり、節分が近づきました。
暦の上での春を追いかけて、これからは暖かくなっていくでしょう。