2023/03/20 07:16
初夏のように暖かくなったと思ったら、また朝が冷え込んだりして、
体調を崩さないようにしたいですね。
さとび春号づくり。少しずつ進んでいます。
原稿をお待ちしている間が少し不安で、同時に、いちばんときめく時です。
こんなことを始めたのは16歳の頃でした。
高校が別れてしまったけど、会うと癒される美しい友人がいて、学校帰りに遊びにいったりしていました。時にはお泊まりも。そんなとき、夜更けに突然思いついたことがありまして。
やりたいことがあったら、無理と思わずにまずやってみればいいじゃない。
という啓示のような思いが降って湧いてきたのです。
じゃあ、やりたいことって?と、そのとき閃いたのが「雑誌を作ろう」でした。
キョトンとしている友人。でも、面白そうだと認めてくれました。友人は美術部だったので、わたしは企画と書いてくれそうな友人に声をかけること、ときどき自分も書くこと。友人はデザインやレイアウトを担当してくれました。それから月1回だったかしら、手作りの雑誌編集発行活動が始まりました。リトルプレスなんていう言葉は、まだ存在してない、してない。
つまり、今と同じようなことをしていたんですね。
それから進学や就職や結婚や子育て。この間いろいろありましたけど、手書きで何かつくること=編集や執筆や企画やレイアウトなどはいつもしていました(そのとき頼まれたことや、遭遇することのなかに、何かとそういうことが含まれていたんですよね)。好きなことはやってしまうという性格は変わりませんでした。
何かつくりたい。作れるとしたら、画像や文章を組み合わせて、何か読めるものを。
ですけれども、わたしには大敵がいました。それは自分です。実は、いつも「わたしなんかダメ」と思うほうで(自己肯定感は低め笑)自分のしていることを大きな声でアピールするという度胸はなくて、ただ、そのときやりたいと思うことをやれる範囲でやっていただけです。(余談ですが、うまくいっている人は例外なく自己肯定感は高いですね。わたしはマイナスからのスタートで、いまやっとゼロくらいになったんじゃないですか)
手書きやワープロから大きく変化したきっかけがあります。
地元の編集局でアルバイトしたときにDTPと出会い、「自分でデザインすれば、自分で雑誌が作れるじゃないか」と目から鱗状態になり、当時新しかったその技術を独学で身につけ、恐る恐る仕事を始めるようになりました(今思うと恥ずかしいこともたくさんしていました)。自分がやりたいことが何だったのかなど考える余裕もなくて、ただビクビクしながら目の前のことに取り組みました。
地元の編集局でアルバイトしたときにDTPと出会い、「自分でデザインすれば、自分で雑誌が作れるじゃないか」と目から鱗状態になり、当時新しかったその技術を独学で身につけ、恐る恐る仕事を始めるようになりました(今思うと恥ずかしいこともたくさんしていました)。自分がやりたいことが何だったのかなど考える余裕もなくて、ただビクビクしながら目の前のことに取り組みました。
独学が社会で通用するのか確かめるためもあって、一時、情報誌関係の会社に勤めてもみました。本当はフリーでいたかったけれど、修行が必要だと思ったのです。子育てやローンなど、お金のかかる時期でもあり、まだまだフリーとしてだけはやっていけませんでしたし。
当時思っていたのは、
目の前のことを一生懸命やるしかない。それもできなかったら、何もできない。
ということ。 これが納得のいく未来に繋がっているのか、これでいいのか、わからない不安を消す言葉でした。
目の前のことを一生懸命やるしかない。それもできなかったら、何もできない。
ということ。 これが納得のいく未来に繋がっているのか、これでいいのか、わからない不安を消す言葉でした。
そのうち、仕事用の部屋を借りて(今の編集室)仕事らしい活動を始めてしばらくしてから、知人を介して「手伝ってあげてほしい」と言われたのが、自主発行による小規模な雑誌です。それが、さとびごころ(当時は俚志)でした。そのときは、いずれ自分が発行することになるとは露ぞ予想せず、お仕事として引き受けたのです。
旧さとびごころ(2015年からひらがな表記)は、創刊から7年たったとき継続が困難になり、わたしの仕事もなくなることになりました。そのとき、創刊者の方から替わりに作ってほしいとお声かけいただき、「これは自分でやってみなさい」ということではないかと思えて、引き受けました。それ以来、無償でやることになりましたが、雑誌づくりという夢のまた夢でしかなかったものが、やればできるかもという感触に変わっていました。DTPとともに印刷業界もデジタル化が進み、金額的に個人の手の届くものに変化していたことは大きかったです。フリーとしての活動も並行してであれば、なんとかなるのではないかと思いましたし、わたしには、ずっと温めていたコンセプトがありました。それが今のさとびです。
年を重ね、子育ても終わり、還暦(「もう一度生まれる」)という年代になってみて、気がつけばやはり16歳の自分がまだここにいたことに気付かされます。わたし、これを16歳天命説と勝手に呼んでいます(笑)。回り道をしたとしても、戻ってきた。当てはまる人、います?
編集したり雑誌を作ったりすることが、呼吸するのに似てきているので、果たしてどれほど好きだと言えるのか、自覚としては実はもうよくわかりません。でも、できることがこれしかなかったのは確かです。できることを通して、愛しく大切だと自分の魂から思うことのために、喜んで時間を使いたいと思います。それは自分ではない誰かのため、自然や環境のためにです。
そういえば、わたしの旦那さんも、青春時代に大好きだったこと(音楽活動)を頑張っています。
好きなことで、食べていけるかどうかはわかりませんが、好きなことはやめないほうがいいですね。やめなければ、それは「できること」にはなり得ます。わたしは子供たちにそのように伝えてきましたが、まあまあ間違いではなかったのかなと思います。
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ご訪問ありがとうございました。100年住み続けたい奈良のための地域づくりマガジン編集部からのお知らせや関連する雑談を投稿しています。
さとびごころ(編集:さとびこ編集室 発行:オフィスエルインク)
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